かさなる 白いモラトリアムサマー

かさなる白いモラトリアムサマー 15話

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作:武田まな

暗闇の中で目覚まし時計の針だけが青白く光っていた。針は八時丁度を指していた。帰宅してからもうかれこれ一時間以上、経過したことになる。その間、私は膝を抱え丸くなり微動だにしなかった。どうかしている。ほんと、どうかしている。だから、何らかの変化を求めることにした。

そして里実ワカバは、冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、プルトップをもぎ取り一気に飲み干した。

しかし、変化は訪れなかった。白は白で黒は黒だった。はたまた、今は今で過去は過去だった。だからどうした。

再び冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、今度はコップに注いで口に運んだ。結果は言うまでもなかった。

里実ワカバは人差し指で口元の泡を拭うとコップのヘリを撫でた。暗闇の中で優美な音が鳴った。

……

いくら待っても変化は訪れなかった。とにかく、暗闇を脱せねば。

そして里実ワカバ、カーテンを少しだけ開けた。淡い灯りですら眩しく感じた。目が痛いや。

文字通り身も心も疲れ果てていやがる。あちこちガタがきていやがる。どう転んでもレポートに取りかかるなんて出来やしない。かといって、借りてきた小説を読む気にもなれやしない。ラジオを聴く気にもなれやしない。何か食べる気にだってなれやしない。

ややあって、脳といわれる神経細胞の群れが、頼んでもいないのにあらぬ仮説をひねり出しはじめた。今の里実ワカバにはそれを止める気力など無い。

二人が向かい合う机の上には、地形図、レポート用紙、ペンシル、消しゴム、付箋、紙飛行機があった。紙飛行機を除けば、調べ物をする必要最小限の文具とも言える。また、それらの文具からは、有益に使われた形跡が見て取れた(学生故、文房具の状態には敏感なのだ)。

そんなことよりも気になったのは、紙飛行機である。いくら紙飛行機フリークだとしても、図書館という公共の場でこさえる数には、限りがある。おまけに調べ物の最中でもある。と考えるに、こさえても三つがいいところ。いくらなんでも優に十個を超える紙飛行機は、多過ぎる。とくれば、それだけ長時間、図書館にいることになる。

それと、もう一つ気になることがある。それは彼の居眠りである。いまだかつて彼の眠っている姿を、私は見たことがない。去年のキャンプだって、彼は最後に寝たにもかかわらず、真っ先に起きて全員分の朝食を作っていた。「慣れなれない場所だと、眠れない質なんだ。意外だろ? ほら、里実。ブロッコリー茹でるの、手伝ってくれ」と言われたのを覚えている。だとすると、あの図書館は慣れた場所、ということになる。そうなるためには、何日も通う必要がある。きっと、私が軽井沢に行っている間も、あの二人は図書館で調べ物をしていたのだろう。そうまでしていったい何を調べていたのだろう? 地形図を使っているからには、何らかのポイントを探しているのだろう。でも、いったい何のポイントだろう? 二人にとってどんな意味があるのだろう? きっと特別な意味があるに違いない。なのに、二人の影は同じ色ではなかった。それだけが救いだった。救い? 誰の何の。里実ワカバは首を振った。ほんと、どうかしている、私。

三本目の缶ビールのプルトップをもぎ取ると、コップには注がずそのまま口に運んだ。

その時、何かのはずみで森野カオルの腕時計に目が留まった。腕時計の針はぴったり午後八時を指していた。ん? さっきと同じ時間ではないか。あれから数秒しか経過していない、とでもいうのか? そんなはずはない。じゃあ、時間が止まってしまったのだろうか? まさか、ありえない。あってたまるか。

里実ワカバは目覚まし時計の針に目をやった。すると針は八時十二分を指していた。

間違いなく時間は進んでいる。彼の腕時計の時間が遅れているようだ。いや、そう決めつけちゃだめだ。もしかしたら目覚まし時計の方が、狂っているのかもしれない。今夜に限ってそんな気がする。いずれにしても正確な時間を知る必要がある。

そして里実ワカバは、受話器を持ち上げるとプッシュボタンを押した。117と。

「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン、午後八時十二分四七秒をお知らせします」

 受話器の黒い穴からそうアナウンス音が聞こえた。まったく森野君ときたら、これだから。

里実ワカバは腕時計の針を午後八時十二分にセットし直した。その直後だった。いまだかつて経験したこともない睡魔に襲われた。ただごとではない! と思ったのも束の間、机の上に突っ伏していた。空き缶が床に落ちる音がしたが、それを視覚情報として捉えることがもうできなかった。すでに瞼は閉じられているようだ。そんなことより、明日、森野君に腕時計を返さなくちゃ。その意識が最後だった。

つづく


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