かさなる 白いモラトリアムサマー

かさなる白いモラトリアムサマー 23話(最終話)

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作:武田まな

 湖畔にある駐車場に車を停めると、二人は白色と緑色で彩られた無人駅に向かった。

無人駅の周辺には、青々と茂った稲穂たちが風に揺らめいていた。その先に見える木崎湖は、北アルプスの雪解け水を満々と湛え、無数のまばゆい光を湖面に散らしていた。

彼女の瞳には、この美しい景色がモノトーンに見えているのか、と森野カオルは思い何ともいえない気持ちになった。

そんな森野カオルの気持ちを察したかのように、里実ワカバは優しい声で言った。

「匂いや肌触りからでも、色彩は感じられるものよ」それから、片足を上げバランスをとる身振りをはじめた。足首のアンクレットが瞬く。「あのね、カオル。この場所に来て閃いたことがあるの。だから、私のことは心配しないで」

「閃いたって、何を?」

「内緒よ」そう内緒にしておかねばならないのだ。「ねえ、歩こう」

「あ、うん」

 そして二人は、湖畔を歩きはじめた。

 歩きはじめてから十二分後、電車が無人駅に到着した。里実ワカバは二両編成の小さな電車に目をやった。下車した人が一人見えた。女性のようだった。

「湖と空と森、それ以外何も無いところだね」と森野カオルは、話しかけた。

「何も無い場所だからこそ、全てを受け入れられたりするのよ」と里実ワカバは答えて、並んで歩く二つの影に目を落とした。「やっぱり、今の撤回。全てを受け入れるために必要なものしか、ここにはないのよ」

「そっか」と森野カオルは、寄り添うように相槌を打った。

 それから十二分後、二人は湖畔にある小さな公園に着いた。ブランコや滑り台に興じてから、色褪せたベンチに腰掛けた。

 しばし休憩したのち、二人は再び歩きはじめた。

 それから十二分後、開けた場所にたどり着いた。そこは木崎湖が一望できる場所だった。

木崎湖は大きくて、どこまでも静かだった。そんな湖のコアに導くようにして、長く真っ直ぐな桟橋が佇んでいた。たったそれだけのことが、多くを物語っているように二人の目に映った。だから、この景色を心に留めることにした。

……

いつしか木々のざわめきが止んでいだ。綿菓子を思わせる雲も流れることを止めていた。湖面を飾るさざ波も姿を消していた。水面は鏡面となり空が映っていた。風が止んだのだ。無風だ。静寂。黙。さも時間が止まり静止画といった風である。

里実ワカバは静止画もとい桟橋に足をそっと踏み入れた。そして、桟橋の先端に向かい歩きはじめた。

足音と共に水面に映る空が少し揺れた。魔法を使って飛んでいるみたいだな、と里実ワカバは思った。また、飛んで景色の向こう側に行けそうだな、とも。

 桟橋の先端で里実ワカバは靴を脱ぎ裸足になった。そして、モノトーンの景色を一心に見つめた。

木崎湖に着いて閃いたこと、『白いモラトリアムサマー』を最後まで読まなかったということは、こうだと言えなくはないか。これから訪れるラストシーンは、私の思い描いた通りのことが起こるのだと。つまり、このモノクロームの景色は、モノクロームの本の頁と同じなのだ。どっちも言葉であふれている。言葉が支えている。言葉で表現されている。言葉しか使われていない。私は紙に散りばめられた言葉ではなく、景色の中にちりばめられた言葉(ラストシーン)を読めればいいのだ。それが生じるから、それは生じるのだ。さあ、もう迷うな、私。

 里実ワカバは振り向くと大きな声で言った。

「カオル、ここまで来て」

 森野カオルは返事をすると、里実ワカバの近くに来た。

「湖というよりか、まるで空だな」と森野カオルは、桟橋から見渡せる景色について言った。

「ねえ、カオル」

「ん」

「左手、見せて?」

「左手?」

「うん」

「これでいいか」と森野カオルは言い、左手を差し出した。

「ありがとう」

そして里実ワカバは、森野カオルの腕時計の針を十二分遅らせた。しかし、何も起こらなかった。ということは、そういうことか。さっき飛んで景色の向こう側だの思ったからには仕方がない。このくらい、なんのその。

次の瞬間、里実ワカバは桟橋の先端から木崎湖のコアに向かって高くジャンプした。

水面に大きな波紋が広がる。青に包まれた彼女の体から、無数の気泡が剥がれていく。そして、透き通った感覚に包まれていく。肉体の存在を忘れるくらい透き通った感覚に……。

ややあって、水面に浮上した里実ワカバは、ゆっくりと目を開けた。空は青かった。ただ、それだけだった。いや、それだけで充分だった。ともあれ、これだけ濡れていれば気付かれないだろう。

「里実! 里実!」

 私を助けるために飛び込んだのか。まったく、これだから。「大丈夫よ。それよりびっくりした?」

「びっくりしたって、あのな。いくらなんでも突然、湖に飛び込めば……」と声が小さくなる。「里実、泣いているのか?」

 どうして気付いたのだろう? 私が思い描いたラストシーンにならなかったら、どうしてくれる。「ううん。ただ、濡れているだけよ」人差し指を唇に触れさせて「ねえ、静かに」

「静かにって、そんな場合か?」

「おねがい」

続けて里実ワカバはこうも言った。

「ほら、もう直ぐだから」

静止画に時間が宿り景色が動きはじめた。と同時に、桟橋を歩く足音がした。

里実ワカバは空を仰いだ。そこには何も無かった。ただ、紙飛行機が空を飛んでいるほかは……。

おわり


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