作:武田まな
高橋が太鼓判を押すお店に到着すると、アウトドア関係の会社がプロデュースしたビアガーデンうんぬんシックな看板に、小さな文字で簡素に書かれてあった。オシャレな所だから覚悟して入店あそばせ、というわけだ。
階段を登り終えた四人の目に映ったのは、大きなカンバス生地に映し出された白馬連峰だった。色彩を持たない里実ワカバの目には、夏山なのか冬山なのか区別がつかなかった。なので、絵に描いたようなリアクションができなかった。
「あの手のビアガーデンとは、ずいぶん違うね」
森野カオルは周囲を見渡しながら、里実ワカバに向かって言った。
「客層だってBGMだってイカしているわよ」と里実ワカバは、返事をした(なんとなく気付いていたが、ここへ来た事実は消えているようだ)。
それから、四人は案内された席に腰を落ち着かせた。ランタンの灯りが日焼けした肌を照らす。リッチな気分になる。が、その中に里実ワカバは含まれていない。
「ここ悪くないだろ?」と高橋は、自慢げに言った。
「うん。すごくいい! そんなことより意外。優二がこんなハイセンスなお店を知っているだなんて」とエミカは、はしゃいで言った。
「実はこのお店、バイト先の先輩に教えてもらったのさ」と高橋は言い、鼻を擦った。
「やっぱりね。どうせそんなところだと思っていたわ」
「そう肩を落とされると、なんだか複雑だな」と高橋。それからこうも言った。「お嬢様方、例の穴埋めは、順調ですかな?」
「もちろんよ」とエミカは、間髪を容れず答えた。「ん、ワカバ?」
「え、あ、何だっけ? へへ」
「里実くん、さっきからリアクションが薄いぞ。まさか、ここに来たことがあるとか?」
「来たことがないし、オシャレなお店で驚いているよ。もっか大人っぽくクールに決め込んでいるだけよ、どう」と里実ワカバは言い、髪をしなやかにかき上げてみせた。「このお店、映画やドラマに出てきそうだから、元演劇部員としては血が騒ぐのよ。つまり、演じたくなるわけ。大人の女性とやらを」
「だとさ、森野……。てか、お前までぼうっとするなよ」
「あのさ、アウトドア系の雑誌の中でこういったシチュエーションを時折見かけるけど、実際に目の当たりにすると、少し落ち着かない気持ちになるな」と言ったものの、この落ち着かない気持ちはそれだけじゃないような気がした。
「はいはい、そうですか」と高橋は、ため息交じりに言った。
間もなく店員が注文を取りに来た。それぞれ飲み物をオーダーすると、店員はスマートに復唱してみせた。ビールが四つと。
里実ワカバはそう告げられてハッとした(カオルがアルコール? これも事実が失われた影響なのか)。しかし、その驚きを押し殺した。いちいちあの事実に関することで驚いていたら、体が持たない。ともかく、一刻もはやくこの世界に慣れなくては。それに失われた事実(記憶)に依存するのもよくない。はやく忘れなくては、と考えている時だった。どこからともなく歓声と共に拍手が沸き起こったのは。
反射的に里実ワカバは、歓声と拍手がする方へ目をやった。すると、花束と指輪が入ったとおぼしきケースを手にした女性が、男性に抱き着いているのが目に留まった。誰が見ても何が起きたのかは、一目瞭然だった。となると、祝福の輪は音叉の音よろしく店内へ広がっていくのであった。
その様子を目の当たりにしたエミカと高橋は、涙ぐんでいた。また、森野カオルもそれは同じであった。彼氏持ちの女子大生と、フィールドワーク帰りの男どもには、刺激が強すぎるのだろう。でなきゃ何も感じない私はどうかしている、と里実ワカバは顔を曇らせた。
つづく
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