かさなる 白いモラトリアムサマー

かさなる白いモラトリアムサマー 21話(3/3)

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作:武田まな

 アパートメントに帰宅すると、マミはわき目もふらずワンピースに袖を通した。するとブランニューな生地の肌触りが、覚めつつあった酔いの代わりにご機嫌にさせてくれた。更にご機嫌になるにはどうすればいいのだろうか、とマミは考えた末、ワンピースに似合いそうなトートバッグを肩から下げてみた。しかし、ピンとこなかった。今度はトーシューズのイラストが描かれたシステム手帳(バレエに未練が残っているのか、我が姉よ)を手にしてみたが、これもピンとこなかった。次にサングラスをカチューシャ代わりに頭に装着してみたが、もっとピンとこなかった。

「ちゃんと定位置に戻しておいてよね」とエマ先輩は、鏡越しにマミに告げた。それからこうも言った。「髪型でも変えてみれば?」

「なるほど」

そしてマミは、髪をボヘミアン風のツインの三つ編みに結ってみた。すると、これがピンときた。良い、好い、いい、最高のワンピではないか! となれば、鏡の前で一周回り、二週回り、三週回ったところでふらつき吐き気をもよおした(おっともったいない。吐いてたまるか)。案の定、足の小指を本棚にぶつける始末であった。痛……。

その痛みがトリガーとなり、マミは昼間の出来事を思い出した。

あの人、可愛かったな。それに切実な気配が相まってフェアリーめいてもいたな(私よりこのワンピが似合いそう)。そんな人が、どうして姉に時間なんて尋ねたのだろう? 時間なんてそこら中にあふれているのにさ。どういうこったろう。

それから、マミは指で唇を叩きはじめた。一回、二回、三回……六回。

もしかすると、あの人、時間を尋ねたんじゃないのかもしなれない。だったら何を尋ねたと言うのだろう? 

その直後、山行中、頭を渓流に浸しアイシングしているみたいな感覚に見舞われた。マミはこめかみを強く押さえながら姉の様子を伺った。

我が姉は静かに宙を見据えていた。まるでレッスンの帰り道、雨宿りを強いられたバレリーナのように。表情から何かを読み取ることができないのは、そのせいなのだろうか? いや、違う。うがったことを言えば、姉はそこにいるようで、そこにいないからだ。でも、姉はそこにはいる。そして、息をしている。瞬きをしている。照明に照らされ淡い影を従えている。けれど、姉はそこにいない。何かが欠けているからそう感じるのだ。つまり、姉の一部がそこに有るようで、そこには無いのだ。でもって、その一部とは、目に見えるものではなく、目に見えない何かときている。不思議とそう断言できる。

再びマミは指で唇を叩きはじめた。妙な感覚が増している。昼間に感じた比ではない。まるで私が、私じゃないみたいだ。ワンピースとツインの三つ編みが、それを促しているとでも言うのか。

「おねーちゃん」とマミは、用心深く言った。

「ん?」

「今、何時?」

マミの体が痺れた。また、呼吸も乱れた。耳鳴りもした。

「今、何時?」とエマ先輩はおうむ返しした。昼間の出来事が胸をかすめた。「どうして?」

 マミは何も答えなかった。

 ……仕方がない、とエマ先輩。そして、ナイトテーブルの上にある腕時計を手にした。その時、一冊のムックが床に落ちて頁がめくれた。

「直に十時になるわ」

「……その時間じゃないよ」とマミは言い、ワンピの裾をギュッと握りしめた。何でそう答えたのだろう? いや、そんなことより、意識が小さくなり無意識が大きくなっていくこの感覚たるや。無意識を意識することすら、無意識の中に柔らかく染み込んで消えそうだ。

次の瞬間、ワンピの裾を強く握りしめていたマミの手が緩んだ。

「その時間じゃない?」とエマ先輩は、再びおうむ返しした。「じゃあ、他にどんな時間があるってのよ?」

「あなたの時間」とマミは、ムックに書かれた文字を読み上げた。

……

沈黙が舞い降りた。それから、暗転するかのように部屋の照明が一瞬消えた。

「そんなのあるわけ無いわ。だって、この世界にある時間は、一つだもの」

「それは誰が決めたの?」とマミは、再びムックに書かれた文字を読み上げた。

「知らないわよ。そんなの……」と声が小さくなる。それから、唇が震えはじめた。おびえているのか、私。と考えるに、この私の体は何かを知っているとでも言うのか。

 そしてマミは、小さな神話を物語るかのように、ムックに書かれた文字を読み上げた。

「かけがえのない夏の物語は、いつだって木崎湖からはじまる」

糸が切れたかのように照明が消えた。

 ……

静かだ、とエマ先輩。

「ねえ、マミ?」

返事の代わりに、マミの寝息が聞こえた。

「なんてざまよ」

マミにそう言ったのか、はたまた自分自身に向けてそう言ったのかよくわからなかった。が、明日になれば全てがわかる気がした。不思議とそう断言できた。

つづく


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