作:武田まな
行きつけのセレクトショップを後にしたエマ先輩は、ストローハットをかぶると、足の具合を伺った(依然、痛みはたけなわである)。
片や、マミは真新しいワンピースが入った紙袋を手にはしゃいでいた。週末の往来のど真ん中でそんなことをするのは、はた迷惑である。案の定、アベックAにぶつかりそうになり避けて、アベックBにぶつかりそうになり避けて、アベックCにぶつかりそうになり避けたところで、ガードレールに寄りかかっている里実ワカバにぶつかった。
「わあ、すみません。すみません」とマミは言い、何度もお辞儀をして「田舎から東京に遊びに来て、つい浮かれていたもんで」
里実ワカバの耳には、マミの声が遠くから聞こえた。マミが謝っているにもかかわらず無反応だったのは、それが理由である。
「あの、大丈夫ですか?」とマミは、びくびくしながら尋ねた。
……
普通じゃない里実ワカバの様子に気が付いたエミカは、「ねえ、ワカバ。大丈夫?」と声をかけた。
里実ワカバの耳には、エミカの声も遠くから聞こえていた。
……
マミのしでかした失態を詫びるため、エマ先輩は里実ワカバの近くに駆け寄った。自ずと二人の視線が出会う。
様々な思いが里実ワカバの胸をかすめていった。と同時に、エマ先輩の野性的な瞳に吸い込まれてもいった。そして、彼女の瞳から、何故か夕焼けを連想した。夕焼けは嫌いだ、と里実ワカバ。
「あの」と里実ワカバは、エマ先輩が声をかけてくるよりも先に言った。そして、つつましやかに尋ねた。「今、何時ですか?」
丸い四角でも手渡されたかのように、エマ先輩は目をしばたたかせた。「今、ですか?」
「ええ、今です」
「えっと、午後二時四八分ですが」
そう言葉が返ってきた。もとい、そう言葉が返ってきてしまった。里実ワカバは口をギュッと結んだ。
「それより」とエマ先輩は言い、かしこまった。「すみませんでした。妹がとんでもないことをしでかしたようで」
「あ、大丈夫です。軽く当たったというよりか、軽く触れただけなので気にしないで下さい」里実ワカバは笑顔でそう言った。それから、エミカの顔を見て「約束の時間に遅れちゃうわ。行こう」
摩訶不思議なやり取りに目を奪われていたエミカは、我に返えると慌てて返事をした。「え、あ、わかったわ」
そして二人は、その場を立ち去った。今度は里実ワカバが前を歩き、エミカがその後に続いた。
「ワカバ。やっぱり様子が変よ」とエミカは、心配そうに言った。
「それ、今にはじまったことじゃないから」
「どういう意味?」
「言葉通りの意味よ」
「ねえ、なんで突然、時間なんて尋ねたの?」
「突然じゃなくて」と里実ワカバは言い、さびしく笑った。「必然なのよ」
「何それ? ねえ、ワカバ」
里実ワカバは取り合わずに歩き続けた。
あの人から正確な時間を告げられた。つまり、それはあの人からこの夏の出来事が消滅し、あの人から心の痛手も消滅したことを意味する。となれば、事の顛末を知る人物は、私しかいない。このバカみたいに広い世界の中で、私一人だ。そうなれば、話は簡単だ。この事実を忘れればいいのだ。それでピリオドだ。これが滅するから、それは滅するのだ。
私はそれを実行する。なんの為? 私の欲望を満たす為ではないか。そうやって大人になっていくのだ。満たされた欲望の少ない子供から、満たされた欲望の多い大人へと。そう、全てが増えていく。積み重なっていく。その反対はない。一方通行だ。
つづく
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