かさなる 白いモラトリアムサマー

かさなる白いモラトリアムサマー 16話(1/3)

投稿日:

作:武田まな

白い夢を見た。うららかな内容ともいえず、けったいな内容ともいえなかった。ただただ、白い夢としか言いようがなかった。ともあれ、受話器を手に取るとプッシュボタンをブラインドタッチした。117と……。

「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン、午前十時十二分二十五秒をお知らせします」

そうジネスライクに告げられた森野カオルは、ベッドから起き上がり冷蔵庫を開けた。あろうことか冷蔵庫は空だった。食料を調達せねば。さしもの僕とて霞とやらを食ってお腹を満たすことはできない(もとより、そんなつもりもないが)。

文字通り機械的に自動ドアが開くと、森野カオルは店内に入った。そして、パンをカゴの中に入れた。次にビスケット、ヨーグルト、ナッツ、卵、ベーコン、レタス、バナナ、インスタントコーヒーをカゴの中にそっと入れた。そっと入れたにも関わらず、パンはへこんでしまった。そうか、最後にカゴの中に入れればよかったのか、と森野カオルは山積みにされたレモンを前に思った。

アパートメントまでの道すがら、森野カオルは里実ワカバを見つけた。彼女は小さな公園で猫と戯れていた(森野カオルの存在には気付いていない模様)。

「里実ワカバ、発見」と森野カオルは、彼女の背後に忍び寄り声をかけた。

里実ワカバはいたって普通に振り向いた。おかしなものでこの公園で待っていれば、彼に会えるような気がしたのだ。だから驚かなかった、というわけだ。

「おはよう」

里実ワカバはポツリとそう言った。それから、鼻血の気配に備えてハンカチを素早く取り出した。猫がその仕草を目で追った。

「うむ、おはよう」と森野カオル。

「買い物の帰り?」

「まあね」ビニール袋をゆすって「この中には、お転婆なパンが入っているんだ」

「パン……最後にカゴに入れなかったでしょ?」

「ご明察」

 あれ? と里実ワカバはハッとした。というのも鼻血の気配の代わりに、懐かしい気配を感じたからである(数週間前に失われた日常の気配に似ている)。その気配につられるようにして、里実ワカバは彼の足元に目をやった。

「森野君、スニーカーの紐、解けているよ」

「この履き崩したファッション流行ればいいな、と思ってやっているのさ」そう森野カオルはシレっと言った。

「それきっと流行らないわよ。おあいにく様」

「だろうね」と森野カオルは言い、食べ物が入ったビニール袋を里実ワカバに手渡して、スニーカーの紐を結びはじめた。紐が結ばれていく様子をいたくお気に召された猫は、森野カオルの手に容赦ない猫パンチを浴びせ続けた。

悪戦苦闘した末、スニーカーの紐を結び終えた森野カオルは、腹話術の人形よろしく猫を抱きかかえて、その口を動かしながら言った。

「里実、熱でもあるのか?」

「どうして?」

「だってほら、さっき森野君って」と猫、いや森野カオルは言った。

驚いている里実ワカバをよそに、森野カオルは猫を開放すると、ビニール袋を里実ワカバの手から抜き取った。その時、二人の手が触れ合った。

「うわぁ」と里実ワカバは声をあげた。

「なんだ。その反応」

 それはこっちのセリフである、と書かれた目に見えないホワイトボードを首からぶら下げて「ご、ごめん」

「ともかく、いつも通り呼んでくれ。調子が狂うよ、里実」

「……わかった」NOと言えるわけがなかった。

 そして二人は、ブランコに腰を落ち着かせた。その様子を見届けた猫は、大きなあくびをして尾を垂らすとどこかへ行った。

「里実、朝食は済ませたか?」

「ううん。まだよ」

「そっか」と森野カオルは言い、ビニール袋の中に手を突っ込んだ。そして、バナナを二本もぎ取って、片方を里実ワカバに手渡した。

「あ、ありがとう」

「まあ、召し上がれ」

そして森野カオルは、ブランコを揺らして鼻歌を歌いながらバナナを口に運んだ。

続けて里実ワカバもバナナを口に運んだ。間違いない、これは数週間前に失われた日常だ。一体全体どうなっているんだ。わけがわからん。

 ややあって、里実ワカバは言った。

「カオル、今日の予定は?」おおよその察しはついているのだが、あえて尋ねたのだ。たいそう嫌な女である、私。

 森野カオルの鼻唄が止み沈黙が舞い降りた。沈黙は嫌いだ、と里実ワカバ。「杜葉先輩とお出かけ?」

「え……」と森野カオルは、ゆっくり驚いた。それからクスッと笑った。

「ねえ、カオル。今私が言ったこと、そんなに可笑しい?」と里実ワカバは、声をあげた。

「もちろん、可笑しにきまっているだろ。だって、脈絡もなく懐かしい人の名前を口にしたりするからさ」と森野カオルは答えた。それから、宙を見据えて「ほんと懐かしい名前だな。ちゃんと社会人しているのかな、杜葉先輩」

杜葉先輩? エマ先輩じゃなくて? 懐かしい? なんでよ? どうしてよ? 里実ワカバは口をあんぐり開けて、森野カオルの横顔を凝視した。ともかく、落ち着け。落ち着くんだ。里実ワカバよ。こういう時は、急がば回れ、と相場は決まっている。

「そうだ、カオル」と言い、バッグの中から腕時計を取り出した。「十二分遅れていたから直しておいたわよ」

「サンキュウ。さすが里実ワカバくん、気が利くではないか」

「おそれいったか」

「ははあ、恐れ入り谷の鬼子母神でございまする」

「次からは気を付けるのだぞ」

「へい。お代官様」

「ワッハッハッハッ」

 そして森野カオルは、腕時計をうやうやしく受け取ると手首に装着した。

その瞬間、パズルのピースがはまるみたいに、里実ワカバの胸がスッとした。その気持ちを悟られまいとブランコから飛び降りて片足を上げると、バランスを取る身振りをはじめた。

「そのおぼつかない足元に、バナナの皮、おいてみていいか?」

「よかないわよ」と里実ワカバは、切って捨てた。これじゃあカタルシスもへったくれもありゃしないじゃない。そんなことより、そんなことよりも、あの小説、今朝さわりだけ読んだ『白いモラトリアムサマー』と……。

「どうした? 里実」

「あ、何でもないよ。何でもないから」と里実ワカバは言い、上げていた片足を地面に着地させた。「ねえ、今からカオルのアパートに行っていい?」

「別に構わないよ」と森野カオルはあっさり答えた。

つづく


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