作:武田まな
森野カオルは頬杖をして眠りこけていた。
彼の様子に気が付いたエマ先輩は、ずり落ちる寸前の彼のメガネを外すと、机の上に置いた。窓から差し込む夕日がレンズをすり抜け屈折し机の上に赤を投影させた。
里実ワカバは瞬きするのも忘れて二人の様子を見ていた。するとレモンの香りの中に、血の匂いが混じりはじめていることに気が付いた。念のためティッシュで鼻を押さえた。するとレモンの香りが弱まり視野が広がった。
彼女の瞳には同じ色に染まる二つの影が映っていた。いや、同じ色に染まっているはずの二つの影が映っていた。そう、同じ色ではなかったのだ。だから、つい「あっ」と声が漏れた。
エマ先輩は反射的に声がした方に振り向いた。が、里実ワカバのとった行動がそれよりも速かった。
彼女はうつむいて静かに足を運びながらその場を後にした。その途中、バランスを崩してしまい本棚にぶつかる始末だった。その衝撃で一冊の本が床に落ちた。
床に落ちた本を手にすると、『白いモラトリアムサマー』とタイトルが記してあった。なるほど、そういうことか、と里実ワカバは納得してしまった。納得してしまったからこそ、苦笑いすら浮かばなかった。そして、本を借りてから気付いたのだが、再びこの場所に来る必要があった。そう思うとひどく気が滅入った。
振り向いたエマ先輩の瞳に映ったのは、図書館の一角が夕焼けに焦げている景色だった。それは何度も目にした光景でもある。いつもと何ら変わらない。しかし、曇った窓ガラスに書き残された文字を眺めている気分になるのは、どうしてだろう? そう疑問符を残したまま地図に目を落とすと、何かが床に落ちる音がした。と同時に、エマ先輩は目を強くしばたたかせた。
うそ……。み、見つけた。地形図と全く同じではないか。見つけてきた類似する場所とは、比べ物にならないではないか。我々は探す場所を間違えていたのだ。海ではなかったのだ。大きな湖だったのだ。海岸ではなく湖畔だったのだ。
とある湖に視線を据えたままエマ先輩は、右手で机の上をまさぐり付箋を手にすると、長野県のとある頁に貼りつけた。それから、机の上に突っ伏した。ホッと息が漏れる。ん? ホッとしている場合じゃないだろ。カオルを起こさねば。
しかし、エマ先輩はためらった。
彼に話すのは明日にしよう。あと一日だけこのままでいたい。あと一日だけ。
そしてエマ先輩は、眠っている森野カオルの手をそっと握った。いったい何を恐れているのだろう、私。
つづく
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