作:武田まな
〔一年前〕
風の強い日のこと。講義終了を告げるベルと共に、鳩たちは空へと一斉に飛び立った。そして、強風に煽られるとあらぬ方角にいざなわれていった。
間を置いて、学生たちが講堂の出入口から出てきた。学生らは強風に煽られると銘々わめいた。
里実ワカバは離れた場所からそれらの様子を目にした。そして、学生らの中から森野カオルを発見した。となれば、ブランニューなワンピース(レトロガーリーなシャツワンピ)を見せたくて「森野君」と、声をはずませて呼んだ。
彼女の嬉々とした声で振り向くのは、一人のはずだった。が、振り向いたのは二人だった。片や男で、片や女である。
里実ワカバは反射的に建物の陰に身を隠した(誰だろう? あの女の人)。そして、ワンピースの裾を風に煽られないよう押さえつつ恐る恐る二人の様子を伺った。すると森野カオルは同じタイミングで振り向いた女性と話していた。あの女の人、森野君の知り合いなの? 里実ワカバの唇がギュッと結ばれる。
「あ、どうも」と森野カオルは、エマ先輩に気が付き声をかけた。
エマ先輩は返事を省略して言った。
「今し方、誰かに呼び止められたような気がしたんだけど?」
「そういえば僕も誰かに呼び止められたような」
二人は周囲を見回した。
再び里実ワカバは建物の陰に身を隠した。別に隠れなくたってもいいのに。さっきからなにしているのだろう、私。
「空耳だったのかしら」とエマ先輩は言い、首をすくめた。
「それはそうと、エマ先輩。さっきの講義、一緒だったんですね」
「そうよ。後ろから森野を観察していたのよ」
「ずいぶん悪趣味ですね」
「少しでも居眠りしたら、後頭部めがけて消しゴムでも投げようと狙っていたわけ」とエマ先輩は嬉しそうに言い、消しゴムを投げるジェスチャーをしてみせた。「でも、無駄だったわ」
「真面目にノートとっていましたからね」
「感心。あ、そうだ。これからクロワッサン買って屋上に行くんだけど。森野も一緒にどう?」
「じゃあ、この本、図書室に返却してからお邪魔させていただきます」手にしている本を見せて「返却日、だいぶ過ぎちゃって」
「そんなら森野のクロワッサン&コーヒーも買っておいてあげるわ。だから屋上で落ち合いましょう」
森野カオルは感謝の気持ちをうやうやしく伝えた。
それを受けてエマ先輩は、レモン八個分と同じ重さのトートバッグを、森野カオルの体にぶっつけた。「ほら、ぼやぼやしない、走る! クロワッサンにありつけなくなるぞ」
「そりゃ困る」と森野カオルは言い、図書室めがけて走り出した。
里実ワカバは両手でワンピースの裾を握りしめたまま二人の様子を見ていた。もちろん二人の間に割って入りたかった。しかし、そうするタイミングがつかめなかったのだ。それは二人の親密な気配が理由である。
そうなれば当然、疑問を抱く。洗練された女性と平凡な森野カオル。その二つには、いったいどんな関係性があるのだろう? はたまた、その関係性はどこで生まれたのだろう? 知りたい。でも、ここで立っているだけでは、何もわかりやしない。
里実ワカバはワンピースの裾から手を離すと、くしゃくしゃになった生地を叩いて伸ばした。その直後だった。強風に煽られワンピースの裾が派手にめくれ上がった。どうしてくれる……。
その日の帰り、友人のエミカが教えてくれた。あの女性は四年の杜葉エマ先輩だと(エミカの話だと、クールな先輩で有名だとか)。そう、杜葉エマ。あの時、つまり私が声をかけた時、モリ野とモリ葉、同じモリに反応して振り向いたのだ。
それ以来、里実ワカバはカオルと呼ぶことにした。
つづく
信州のアウトドアにまつわるショートショートを綴っています。
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