かさなる 白いモラトリアムサマー

かさなる白いモラトリアムサマー 9話(3/4)

投稿日:

作:武田まな

机に突っ伏していると、雨音と冷蔵庫が唸る音に紛れてノックの音が聞こえた。それから、森野カオルとおぼしき声も聞こえた。きっと空耳だろう、とエマ先輩は結論付けた。が、念のため床に転がっている受話器に目をやった。受話器の電源はOFFだった。それにもかかわらずまた声がした。

「先輩、起きていますか?」

 おかしなものでその声は、ドアの向こう側から聞こえた。まさか! エマ先輩は急いで玄関に向かった。

「カ、カオルなの?」

「夜分遅くにすみません」と森野カオルは、ドア越しに返事をした。「さっきのアナグラム、解読したんです。だから来ちゃいました」

「アナグラム? いったいなんのこと?」

「たいしたことじゃないって、電話で言っていたじゃないですか。そのアナグラム、解読したんですよ。たすけてベイビー、てね」

なんだそりゃ。どこがどうアナグラムだっての。

エマ先輩はドアを開けた。すると雨に濡れた森野カオルが突っ立っていた。はっきりとしない光に照らされて、メガネから雫を垂らして、笑みなんか浮かべて、スニーカーの紐を引きずって、なんてざまよ。

森野カオルはあっさり首をすくめると、スニーカーの紐を結ぼうとした。それを遮るようにして、エマ先輩は言った。

「中に入って。今、タオル持ってくるから」

「すみません」

「まったく、カオルときたら」

「まだ学生だから、こんな向こう見ずなことしちゃうんですよ」

「はいはい。大人しくそこに座って待っていること」とエマ先輩は言い、ソファーを指さした。それから「あまりキョロキョロしないでよね。ちらかっているから」

「えっと努力します。で、いいですか?」

「いいわけないでしょ」

ブロカント風な家具と、こまごまとした日用品が仲睦まじく共存している部屋だな、と森野カオルは思った。一方、床に転がっている受話器と、派手に乱れているベッドが人間味にあふれていて悪かない、とも思った。

キョロキョロし終えた森野カオルは、ハンガーにぶら下がっている皺ひとつないブラウスに目をやった。学生はどう転んでも社会人の気持ちにはなれやしないのだ。その反対はできるのに、と考えながら。

「はい。タオル」

「ありがとうございます」

「で、何を見ていたの?」

「えっと、コットンです」エチケットのつもりで、ブラウスという表現を変換したのだ。

「コットン?」

「ええ、まあ」

 一呼吸置くと、エマ先輩はため息交じり言った。「あきれた」それから、コーヒーを淹れるため湯を沸かしはじめた。

濡れた髪や洋服をタオルで拭き終えると、森野カオルはコーヒーの準備をするエマ先輩の後姿に見とれていた。彼女の不機嫌な感じに乱れたワンレンボブと、猫のイラストが描かれたTシャツが、彼を申し分ない気持ちにさせた。

あらぬ視線を感じ取ったエマ先輩は、振り向くと目を細め不届き者の表情を伺った。

不届き者は表情を工夫しつつ首をストレッチして誤魔化した。

そんなくだりが何回か繰り返された末、テーブルの上にコーヒーカップが二つ並んだ。エマ先輩はその内の一つをつまむと、息を吹きかけて一口すすった。それから、口を開いた。

つづく


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