作:武田まな
ざらついた気分の最中、電話のベルが鳴った。ルルルル、と一回、二回、三回……八回。
エマ先輩はベッドから垂らしていた手で床をまさぐり、受話器を握ると通話ボタンを押した。そして、「マミ。約束は守るから大丈夫よ」とだけ告げて電話を切ろうとした。
「あっ、待ってください。森野です」
「……カオルなの」思わずベッドから転げ落ちそうになった。「ど、どうしたの?」
「えっと、気になって。エマ先輩のことが」
「それだけ? それだけの理由で電話してきたの?」なんだそりゃ。
「ええ、それだけです」と森野カオルは、あっさり答えた。
エマ先輩は「バカ」と小さく呟いた。本能的にそう呟かずにはいられなかったのだ。
森野カオルは光の速度の時間差で、エマ先輩のざらついた気配を察知した。
「どうしたんですか? 様子、変ですよ」
「そんなことないから」と声が小さくなる。
「何かあったんじゃないですか?」
そう尋ねられたエマ先輩は、あの景色のことを話すことにした。が、止すことにした。こういう時、わがまま言えない年上って損な役回り。だとしても、カオルの声を聞けてホッとしたではないか。ことことに至って今は、それでいいではないか。
「あのね。別にたいしたことじゃないの。だから今日はもう遅いし、また明日、電話するわね」未来や過去より、今が似合うと言われたのに、まったくもってそうじゃないときたもんだ。
「わかりました」と森野カオルは、素直に返事をした。
いささか素直すぎる、とエマ先輩はわがままな想いを抱いてしまった。
続けて森野カオルは言った。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「あ、うん。おやすみ」
電話は切れた。今直ぐレモンに齧りつきたかった。言わずもがなレモンは切らしている。とくれば、照明を消して、ベッドの上でのたうちまわるしかなかった。
嗚呼、この私という自我が無意識に描いた景色とは、何なのだろう? そもそもそうさせた無意識とは、何なのだろう? 本能の類のことを指すのだろうか? それとも……。こんな状態では眠れるわけがなかった。
そしてエマ先輩は、ベッドから起き上がり照明を点けると、日用品と食料品の買い出しリストをこさえた。次にブラウスだのハンカチだのにアイロンをかけた。その次に、レモン二個分と同じ重さの本を読みはじめた。というよりか、ただ文字を眺めていた。そうやって眠くなるのを、ジッと待つことにしたのだ。ただただ、辛抱強く。
しかし、ちっとも眠くならなかった。けれど、それを続けるしかなかった。他に何をすればいいのか思い当らないからだ。そして、溶けることのない不安と共に夜はふけていった。
……
つづく
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