作:武田まな
〔一年前の屋上の続き〕
グラスが触れ合ったような音が鳴った場所は、薄暗いペントハウスの踊り場だった。
その音はカフェオレ色のドアの隙間から、森野カオルの耳に伝わったものだった。それは物理的現象であり心理的現象ではない。
里実ワカバは手から滑り落ちたメガネのレンズを拾った。何故だろう? たかがレンズが重いや。それは心理的現象であり物理的現象ではない。
覗き見していた里実ワカバは、二人の顔が近づいた瞬間、思わずレンズを落としてしまった、というわけだ(それが、グラスが触れ合ったような音の正体である)。それから、逃げるようにして立ち去ったのだ。
どのルートを経て階段教室に駆け込んだのか覚えていなかった。里実ワカバは呼吸を整えると、窓際の席にだらしなく腰掛けた。それから、メガネのレンズを使い机のある一点に光を集めはじめた。
光は日が傾くにつれて濃密な赤に変わっていった。空気は透明なのにどうして赤いのだろう? と里実ワカバは思った。ことことに至って、他に考えることがあることは救いだった。
つづく
信州のアウトドアにまつわるショートショートを綴っています。
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