作:武田まな
その後、里実ワカバは講義には戻らず図書室にいた。
図書室は森野カオルが夕方に立ち寄る場所である。つまり、ここで彼が来るのを待つことにしたのだ。窓際の席に腰掛けて、本の頁をめくって(文字通りめくっているだけだった)、騒ぎ立つ胸を抑えて。
しかし、夕方になっても森野カオルは現れなかった。したがって、他に彼が立ち寄りそうな場所を捜すことにした。
あれこれ捜し回ってみたが、今日に限って彼を見つけることができなかった。ひょっとしたらもう帰ったのかもしれない。いや、まだどこかにいるはず。でも、どこに、と考えあぐねた末、彼の居場所に気付いてしまった。そうか、屋上か!
屋上に向かうため、里実ワカバは走った(屋上へと続く階段も一段飛ばしで駆け上った)。でもって、カフェオレ色の扉を勢いよく開けると、スケッチブックを抱えて空を見据えている森野カオルがいた。そんな彼の後姿は、夕焼けで赤黒く焦げていた。
勢いよく開け放たれた扉の音に驚いた森野カオルは、抱えていたスケッチブックを落としてしまった。が、それを拾おうとはせず扉の方に振り向いた(エマ先輩のイメージが胸をかすめたのだ)。しかし、そこにいたのは、里実ワカバ。
里実ワカバは走って来た勢いに任せてエモーショナルに声あげようとしたが、乱れている呼吸のせいでそれが叶わなかった。ともかく、何か言わなくてはと思い、呼吸と共に言葉を発した。
「森野……カオル……発見」
「里実……どうした?」
森野カオルの驚いた表情が、次第に不安げな表情へと移り変わっていった。それは里実ワカバの激しい呼吸と、額の汗と、のぼせた顔が原因である。
「ねえ、驚いてくれた?」
「うん。とても」
「よかった」と里実ワカバは言い、微笑んだ。それはいつもの笑顔だった。それができてホッとした。
「期待に添えたかな?」
「ええ、もちろん」
そして森野カオルは、足元のスケッチブックを拾おうとしたが、それを遮るようにして里実ワカバは言った。
「あのさ、ランチタイムの時に言いそびれちゃったんだけど、今夜、みんなでビアガーデンに行こうかって話になったの」思うように言葉が続かなかった。苦しい。でも、それは走って来たからじゃなくて、鼻血のせいじゃなくて、この場所があの先輩の……。「カオルも行こうよ」
「みんなって高橋と、桃井?」
「そうよ」
「そっか」と相槌を打った。「悪いんだけど里実。また、今度にするよ」
「ダメ」
それはとても小さな声だった。したがって森野カオルには届いていない。
「金欠病だし、アルコール飲まないし、それに実は……」
森野カオルはエマ先輩のことを話そうとしたのだ。そして里実ワカバは、それを感じ取ってしまったのだ。感じ取ってしまったからこそ、聞きたくもなかった。
「ダメ。言っちゃダメ。言わないで」続けて「カオル、一緒に来て。お願いだからわがまま言わせて」
熱を帯びたあやうい言葉には、不思議な引力が宿っていた。
次の瞬間、森野カオルは「わかった」と返事をしていた。すると風が吹き、スケッチブックの頁がめくれた。めくれた頁には、色彩を持たないモノトーンのエマ先輩がいた。
つづく
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