作:武田まな
里実ワカバはランチタイムになると、学内のある場所に向かった。
ある場所には、ベンチに腰掛けてクロワッサンを口にくわえながら、本の頁を操っている森野カオルがいた。それは見慣れたシチュエーションである。それなのに、今日に限っていつもと違って見える。まるでしばらくぶりに彼を見かけたときのような印象、とでも言うべきか。てか、そんなの気のせいに決まっている。だって、今日は月曜日で先週の金曜日も彼とここで話をしたもの。それに昨夜だって電話で話をしたし(それにしても妙な電話だったな)。それなのに、このもうもうたる違和感たるや、なんだ?
ともあれ、里実ワカバは彼の背後から忍び寄り声をかけることにした。もちろん驚かせるためにそうしたのだ。
「森野カオル、発見」
「なんだ。里実か」
森野カオルはクロワッサンを口にくわえたままシレっと答えた。
「つまんない。もっと驚いてよ」と里実ワカバは言い、森野カオルの隣に腰掛けた。そこに座るのは、当然の権利だといわんばかりに。
「毎回そんな風に声をかけられると、驚かなくなるのは当然だよ。ところでランチは?」
「まだよ。これから」彼の頬張るクロワッサンを見て「私もクロワッサンにしようかな?」
「それだけじゃお腹減るぞ」
「カオルだってそれだけじゃない」
「自己責任でこれだけなんだよ」
「自己責任って?」
「最近アルバイトいってないからな」
「ようするに金欠病ってわけ?」
「ま、そういうこと」
「ねえ、カオル」と里実ワカバは言い、森野カオルの顔をジッと見据えた。「また一段と日焼けしてない? おまけに寝不足って感じ」
森野カオルは頬をなでると言った。
「日焼けしたのは、ロケーションハンティングに行ったからじゃないかな? 日が暮れるまでスケッチしていたものだから」
「なんだ。昨日の電話で言っていた、遠くまで出かけたって話、それなの?」
「まあね」
「で、どこまで行ったの?」
「昨日は、とある湖」
「ふーん」森野カオルの傍らにあるスケッチブックに目をやって「ねえ、その湖のスケッチ、見せて?」
「まだ……途中なんだ。だから、そのうち」
「日が暮れるまでスケッチしておいて、まだ途中なの?」
「それは……」と声が小さくなる。別に隠す必要もないか、と森野カオルは思い、数週間前にエマ先輩と再会したことを話すことにした。しかし、二階の窓から友人の高橋がひょいと顔を出したおかげで、そのきっかけを奪われてしまった。
「いたいた、森野。チョッとここまで来てくれないか? 資料を運ぶのを手伝ってくれ」
「今、食事中だから他を当たってくれ」里実にエマ先輩のことを話しておきたいし。
「親友だろ、おっとり刀で駆けつけろよ。それに人に借りをつくっておいて損はないぞ」
高橋のまぬけな顔を見ていたら、クロワッサンの風味が失われていく気がした。貴重な食料のためだ。仕方がない。「わかったよ。今そっちに行くから」と森野カオルは言い、立ち上がった。「里実。少し待っていてくれ」
「もう、はやく帰って来てよ」
そして森野カオルは、里実ワカバと、食べかけのクロワッサンを残したまま、高橋の所へ行った。
「カオルったら、もう……」と里実ワカバは、独り言をこぼしてから高橋を睨んだ。が、高橋の姿はなかった。と思いきや、再び顔を出してしゃあしゃあとぬかした。
「里実くん。少しの間、森野を借りるよ。用が済んだら直ぐに返すからさ。それに、例の件も伝えておいてくれよ」
「ちゃんと直ぐに返してよね」と里実ワカバは、つっけんどんに返事をした。「でないと、例の件だって伝えられないじゃない」
「そうだった。ごめん、ごめん、ワッハッハッハッハ」と高橋は、笑いながら首を引っ込めた。
それから、里実ワカバはベンチにふんぞりかえると、頬をふくらまして、両足をぶらぶらさせしはじめた。目下、私は不機嫌である、と言わんばかりに。
ややあって、里実ワカバの足が止まった。その原因は置き去りにされたケッチブックである。いつもはスケッチの途中だろうが何だろうが直ぐに見せてくれるのに、どうして今日に限って見せてくれなかったのだろう? 誰よりも彼のスケッチを見てきたつもりだから、さっきの態度が気になる。カオルのあんぽんたん。
つづく
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